発達障害:パトカーで帰ってきた息子を見て、私が変わった日

あの日のことは、一生忘れないと思います。

夕方、園のお迎えを終えて、娘と息子と一緒に歩いていました。(当時息子は4歳、娘は6歳)私は登園用の荷物を両手に持ち、仕事帰りでクタクタ。体も心も、限界に近かったと思います。けれど、子どもたちはそんな私の疲れなんておかまいなしに、ふらふら寄り道したり、まっすぐ歩かなかったり。特に息子は、なかなか思うように動いてくれません。

「もういい加減にしてよ!」

思わず声を荒げて、これ見よがしにため息をついて言ってしまいました。私は不機嫌さを隠せず、そのまま足を止める息子を置いて、少し歩き進めてしまったのです。

その瞬間でした。息子は錯乱したように反対方向に走り出し、なんと大通りの信号まで渡ってしまったのです。私の心臓は止まりそうになりました。必死で追いかけましたが、木の植え込みで姿は見えず、その先の賽の目のような住宅地で完全に見失ってしまいました。

どれほどの時間が経ったでしょうか。息子の姿はどこにもなく、私はついに110番通報をしました。危険な目にあっていないだろうか。泣いているだろうか。パトカーが到着するころ、近所の方の通報で保護された息子が、パトカーに乗せられて戻ってきました。

後部座席から、気まずそうに、そして少し怯えたような表情で私を見る息子。

その瞬間、私はぞっとしました。

もしこれが将来だったら?

もっと大きくなっても同じように暴走して、パトカーに乗せられて帰ってくる日がまた来たら?

そんな未来に、このままだったらなってしまうのではないか。そしてそんな未来を作らないために、誰が何をすればいいのか。だれが。世界中の誰でもない、たった一人の私ではないか。私は、私自身が変わらなければいけないことに気が付いたのです。

これまで私は、「頑張って疲れている私」にばかり目が向いていました。なんで私ばっかり、こんな苦労をするんだろう。私は、私は…。でも、私を私がねぎらって何になるのでしょう。この子たちの未来のほうがよほど希望にあふれていて、大切ではないかと気が付きました。私は、自分のことばかり見ていたのでした。疲れるほど家事をこなし、仕事をするのは誰のため?何のため?自分の未来を明るくするため?子どもの未来を明るくするためです。もう私は十分すぎるほど幸せを子どもからもらっているのです。世界中でたった一人の、この子たちの母親になれたのです。誰にも譲りたくないです。その日から、私は「頑張って疲れている息子」のほうを見るようになりました。

彼は彼で、毎日頑張っているのです。発達特性のある子にとって、ただ一日登園するだけでも、ものすごくエネルギーを使います。周りの音、人の多さ、スケジュールの切り替え、すべてがストレスです。自分の気持ちをうまく言葉にできず、体と心の調整もうまくできない。

そんな息子に対して、私は「普通の子」の枠で接していたのかもしれません。「このくらいやってよ」と。疲れていて当然なのに、まっすぐ歩かないだけでイライラし、指示どおりに動かないことに腹を立ててしまう日々。

でも、本当に変わらなきゃいけなかったのは、私のほうでした。

その日を境に、私は少しずつ、自分の生活や接し方を見直していきました。

まず、お迎えの時間をできるだけ早めました。彼にとって「1分でも早く家に帰れること」が安心になると気づいたからです。夕方の忙しい時間に料理をやめて、子どもと一緒に横になる時間を作るようにもしました。ごはんは、作り置きでも、お惣菜でもいい。簡単な調理家電の使い方も学習しました。台所に立っているより、そばにいてあげることのほうが大事だと思えたのです。

そして、呼ばれたらすぐ行く。 その“すぐ”が、子どもにとっては「見捨てられていない」という安心になるから。後回しにしないこと。それだけでも、息子の癇癪や混乱の頻度が減っていったように感じました。

私は今も、完璧な親ではありません。疲れることも、イライラすることも、もちろんあります。

でも、あの日のことが私に教えてくれました。

「この子を守れるのは、私しかいない」

そして、「頑張っているのは、この子も同じなんだ」ということ。

これからもたくさん迷うし、失敗すると思います。でも、迷いながらでも、私はこの子と一緒に、歩いていきたいと思っています。

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